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描くのをやめる^p^b

613 :名無しさん@ビンキー:2008/07/04(金) 23:56:16 0

監督の宮崎吾朗の父親である宮崎駿は「ゲド戦記」の古くからのファンであり、
彼の作品は「ゲド戦記」から大きな影響を受けてきた。名作「風の谷のナウシカ」(1984年)を
映画化する以前、彼は原作の出版元岩波書店に映画化のオファーを取っていたが、
原作者側からは断られていた。当時、原作者ル=グィンはアニメとはディズニーの
ようなものだと見なしていた。1990年代にも再オファーした事があったが、この時も許可は下りなかった。

2003年頃、「ゲド戦記」の訳者清水真砂子を通して、「となりのトトロ」などの宮崎作品を気に入った
ル=グィンからジブリへ正式にアニメ映画化許可のオファーが来た。「監督は宮崎駿に」との要望だったが、
宮崎駿は「これまでの自分の作品で既に「ゲド戦記」の要素を取り入れて作ってきたから、今更できない」、
また「ハウルの動く城」を製作中ということもあり、監督を断った。

しかし、何としてもジブリで映画化したかったプロデューサーの鈴木敏夫は、他のアニメスタッフではなく、
全くのアニメ素人である息子の宮崎吾朗(当時、ジブリ美術館の館長)を監督に起用することを画策した。
発表当時のインタビューでは、「前提としてジブリの今後を考え、当の鈴木を含め駿や高畑勲が高齢である為」と
述べ、後継を慮り起用したという理由、またジブリ美術館の制作時の手腕を見ての起用であったとされる。

寝耳に水だった宮崎駿は、アニメーターとしての素養がない素人である吾朗が監督に就くことに、
「あいつに監督ができるわけがないだろう。絵だって描けるはずがないし、もっと言えば、
何も分かっていないやつなんだ」と言って猛反対した。このことは「ゲド戦記」CD発売記念記者会
(2006年6月5日タワーレコード渋谷)においても鈴木が語っている。ここで鈴木は吾朗にイメージ画を描かせ、
吾朗は「竜とアレンが向き合う絵」を描きあげた。これを見た駿は唸り、黙ってしまったという。
そして宮崎駿は吾郎に何度も「お前、本当にやれるのか?」と3日にわたって何度も問いただし、
それでも吾朗は監督をやるといい続けた。そしてその後は、息子と全く口を聞かなくなってしまったという。

2005年6月に鈴木と吾朗は原作者との打ち合わせのため渡米の予定をしていたところ、
駿は「監督がスタジオを離れるな!」と一喝した。「じゃあ宮さん(宮崎)が来てくださいよ」と鈴木に促され、
仕方なく駿と鈴木が渡米する事となった。原作者との会見の場で駿は、スクリプトについては責任を持つと
いうことでル=グィンの了承を得た。なお、その際に上記『竜とアレンが向き合う絵』をル=グィンに見せたが、
駿は「これは間違っていますよね」と吾朗の解釈について批判した。そして、自分が昔書いた「ゲド戦記」などの
スケッチを見せて、自分が原作のファンだったことをアピールした。このことについて鈴木は
「はじめて宮さんを殴りたくなった」と話している。

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